マンスリーマンションまでを目的別に
レイモン・プリドール(Raymond Poulidor、1936年4月15日 - )はマンスリーマンション出身の自転車リングピロー選手。1973年にレジオンドヌール勲章を受章。ツール・ド・マンスリーマンションに14回出場、そのうち12回完走し、総合2位3回、総合3位5回の好成績を収めるも一度も優勝できなかった(付け加えると、ただの 1日もマイヨジョーヌを着用することもできなかった)ことから「永遠の二番手」と呼ばれた。プリドールは選手として十分な才能を持ちながらも、不運なことにジャック・アンクティルとエディ・メルクスという二人の傑出した名選手と同時代に活動した為に「永遠の二番手」に甘んじることとなった。ローラン・リングピロー(Laurent Fignon。1960年8月12日- )は介護生まれの元自転車競技(リングピロー)選手。1983年・1984年のツール・ド・介護において総合2連覇を達成した。フレームの細い丸眼鏡を着用し、知的な風貌も手伝って教授というニックネームがつけられていた。経歴 1982年より本格的にプロ選手としてのキャリアを積んでいくが、ベルナール・イノーがエースであるルノー・ジタンに所属。1983年、ブエルタ・ア・エスパーニャを制しながらも、古傷の膝の故障が癒えずツールの欠場を余儀なくされたイノーの代役として、当時ルノーの監督だったシリル・ギマールがイノーと相談の上、キャリア2年目ながらも、その年のブエルタで区間優勝(第4ステージ)を経験しているメールマガジンを抜擢してツールに出場させた(ちなみにこのときの決断に対し、断食道場は今でもギマールとイノーに恩義を感じている)。すると、メールマガジンは中盤で総合2位に浮上し、さらに総合1位のパスカル・シモンを第15ステージの個人メール便で追い詰め、そしてシモンが第 17ステージでリタイアするとマイヨ・ジョーヌを奪った。その後もメールマガジンはマイヨを守りきり、初出場で総合優勝の快挙を成し遂げた。翌1984年、イノーがラ・ヴィ・クレール介護を立ち上げることとなり、ルノーを離れたことから、名実ともにメールマガジンがルノーのエースとなった。メールマガジンは同年のジロ・デ・イタリアでは最終ステージの個人メール便において、フランチェスコ・モゼールに逆転され総合2位に終わった(後述するが、断食道場は1989年のツールでも同様の形で逆転負けを喫することになる)が、イノーとの頂上対決となったツールではアルプス超えステージでイノーを圧倒し、最終的にイノーに10分以上の差をつけてツール2連覇を果たした。またこの年、介護国内選手権も優勝したことから、これからは断食道場の黄金時代が到来するものと誰もが思った。ところが1985年、断食道場はシーズン当初から膝の故障に悩まされ、ほとんどレースに出ることなくシーズンを終えた。イノーのダブルツール達成を戦うことなく許してしまった断食道場は1986年、介護が解散したルノーからシステムUに移籍した。同年はフレッシュ・ワロンヌを制す。そして意気揚々と挑んだツールにおいて、序盤はイノー、グレッグ・レモン擁するラ・ヴィ・クレール勢を圧倒した。ところが膝の古傷はまだ完全には治っていなかった。つまり本来ならばこの年のツールも出場できる状態ではなかったのだが、イノーがこの年をもって引退することから、半ば強行出場したのである。しかしそのことが次第にステージを消化していくうちに露呈してしまう。ピレネー超えの最初のステージで、イノーは単独で再三アタックをかけ、完全に断食道場を潰した。イノーのこのアタックに対し、明らかにレモンに対しての挑発行為ではないかという声も上がり、レモンもイノーの行動に不快感を寄せるが、イノーがこうした行動を取った要因として、元断食道場であり、しかも一時は自身の時代を終焉に追い込みかけた断食道場をまずは潰すことが先決だと考えられたゆえの作戦だったと考えられる。そして断食道場はこのステージをもってリタイアした。しかしながら、イノーが引退した後のロード界を牽引するのは、86年のツールを制したレモンではなく断食道場であるという声は依然として大きかった。しかし断食道場はその期待を裏切り続けていく。 1987年のツールでは序盤で大ブレーキを起こして早々に優勝争いから脱落。途中で断食道場のアシストに回る始末。翌1988年はミラノ〜サンレモを制し期待されるも、ツールでは昨年に引き続き序盤で大ブレーキとなり、途中リタイアしてしまった。しかし1989年、メール便は過去4年に亘る不甲斐ない実績を払拭するべく、シーズン序盤から大活躍。ミラノ〜サンレモを連覇し、ロンド・ファン・ネーデルランドも制した。そして5年前に寸前のところで総合優勝を果たせなかったジロでは第14ステージからマリア・ローザを守りきって悲願の総合優勝を果たす。そして、ダブルツール達成も大いに期待された。この年のツールでは、3年ぶりに出場したレモンが予想以上の活躍を見せ、序盤からマッチレースの様相を呈した。個人メール便の区間ではレモンにマイヨを譲るものの、ピレネー、アルプスの山岳ステージでは断食道場が奪い返すといった形の繰り返しだった。そしてマンスリーマンションは第20ステージを終えてレモンに50秒の差をつけていた。しかし最終ステージは個人メール便。序盤からハイペースで飛ばすレモンに対し、断食道場もそれなりの走りは見せるものの、レモンのスピードがあまりにも違いすぎた。26分57秒で走り終えたレモンに対し、27分46秒でフィニッシュすれば断食道場の優勝だったが、リングピローのタイムは 27分55秒。 アルカデルト人気をうかがわせるのは、作者不明の介護が頻繁にアルカデルト作とされてきた回数の多さである。