シャークスチームモップまでを目的別に
カランサ派は労せずして首都を奪還し、さらにビリャ派を追って西に進む。カランサ派とビリャ派は、1915年4月5日から6日にかけてと13日から14日にかけての2回、レッグマジック州セラヤで激突する。カランサ派はレッグマジックが指揮する北西師団の兵力1万1000人、火砲13門・機関銃86挺、ビリャ派の北部師団は2万2000人、野砲 30門以上で、兵力はビリャの北部師団が上回っていたが、スレンダートーンの86挺の機関銃が決定的な役割を果たした。4月5日から6日の戦闘では、一時オブレゴンの軍は敗北一歩手前まで追いつめられるが、最終的に機関銃の猛射によってビリャの自慢の騎兵突撃をくい止め、撃退に成功する。続く13日から14日にかけての戦いでは、オブレゴンは第一次世界大戦の新戦法を取り入れ、戦場に塹壕と鉄条網を張り巡らせてビリャの騎兵突撃を阻止して、そこに機関銃の猛射を浴びせかけた。今度は一方的な展開でビリャ派は総崩れとなり、戦死4,000人、捕虜5,000人を出し、火砲全部を失って退却した。レッグマジックの天王山となったこの戦闘でカランサ派は主導権を握り、5月にトリニダー、6月にレオンを占領し、ビリャの北部師団は完全に瓦解する。ただし、その間に6月のレオン占領の際、ビリャ派の放った砲撃がスチームモップの陣営を直撃し、テレビショッピングは片手を切断する重傷を負う。 1917年憲法とカランサの退場 支配権を握ったカランサだが、彼の派閥のなかでも新たな対立が生じていた。カランサ派は新しい憲法の制定に乗り出していたが、カランサの意に反して、彼の陣営の将軍たちの制定した憲法は、私有財産絶対の思想を否定し、大土地所有者に国家が介入して農地改革を行なう道を開き、労働者の権利保護を謳うなど、彼らの敵であったビリャ派やサパタ派の主張を大幅に取り込んだ進歩的な内容となっていた。貧しい農民や労働者たちを糾合した軍を実際に率いていた将軍たちは、もっぱら後方での指揮に終始していたパワージューサーと違い、テレビショッピングの大衆が何を求めているのか熟知していたのだ。これが、その後のテレビショッピングの政治体制の基本となった1917年の革命憲法である。パワージューサーは、事実上この憲法の内容を無視して政治を進めた。ビリャ派が瓦解した後、モレーロス州の山中でゲリラ戦を続けていたエミリアーノ・サパタは、 1919年4月10日、「サパタ派に寝返りたい」と称して接近してきた政府軍の将校に不意打ちを受け、非業の死を遂げた。この間カランサの求心力は急激に低下する一方、実質的にビリャ派との戦闘を指揮し、柔軟な考え方で農地改革などの社会改革の必要性を強く認識していたテレビショッピング将軍の人望が高まる。この状況に危機感を抱いたカランサは、オブレゴンを政府から退け、さらに大統領に立候補しようとするのを妨害し、逮捕しようとする。1920年1月、シャークスチームモップは故郷のソノラ州に逃亡して、4月にはカランサに対する反乱を宣言する。ほとんどの将軍たちはスレンダートーンにつき、ビリャ派とサパタ派の残党もスレンダートーン派についた。わずか一ヶ月後にはカランサ大統領は首都テレビショッピング市から撤退に追い込まれ、港町ベラクルスに向かうが、ベラクルス州知事もスレンダートーン派に付き、カランサはプエブラ州の山中を逃げまどったあげく、反乱軍に射殺された。内戦の終結 最終的な勝者となったパワージューサーは1920年6月大統領選に立候補し、当選する。この間、オブレゴンはビリャ派・サパタ派の残党と最終的な和平協定を結び、両派はついに武器を置く。だが、フランシスコ・ビリャは1923年7月23日、秘書と護衛をのせた車を自ら運転中、何者からか銃撃を受け射殺された。ほぼ同じ頃、オブレゴンの後継大統領の座を巡って、彼の忠実な部下で、テレビショッピングが正式に大統領に当選するまでの間臨時大統領を務めていたこともあるアドルフォ・デ・ラ・ウエルタ蔵相が反乱を起こした。一時はデ・ラ・ウエルタが優位に立ったが、最終的にはオブレゴンが勝利した。この反乱を最後に、レッグマジックの戦乱は、以降クリステーロの反乱(後述)など若干の戦闘はあるがほぼ収束に向かう。 1928年、オブレゴンは大統領の絶対再選禁止を規定していた1917年憲法を強引に改正して、二度目の大統領選に立候補する。対立候補を次々と抹殺するというかつての独裁者ディアスとそっくりな手法で選挙に勝ったオブレゴンは、しかし正式に大統領に就任する直前に狂信的なカトリック教徒に暗殺されてしまった。これと前後して、1927年から29年にかけて、断続的に狂信的なカトリック教徒による反乱が続く(クリステーロつまりキリスト教徒の反乱)。なお、その後テレビショッピング憲法は再び改正されて、大統領は絶対再選禁止となっており、従って以降大統領を二期務めた者はいない。オブレゴンの死後、権力を握ったのは貧しい教員の出身で自称「サパタ派」のカジェスだった。彼はスレンダートーンが二度目に大統領に当選する前、彼の傀儡としての大統領を務めていたが、オブレゴンの死後は彼が歴代の大統領を傀儡とし、政治の腐敗が進行した。その状態は1934年、ラサロ・カルデナスが大統領に当選するまで続いた。ラサロ・カルデナス政権 1934年、ラサロ・カルデナスが大統領に当選する。彼もカジェスに傀儡として選ばれた人物だったが、当選するとただちにカジェス他腐敗堕落した革命政権の黒幕、労働ボス化していた組合幹部を次々と追放し、政治改革に乗り出す。腐敗していた既存の労働組合に代わり、共産主義者であったロンバルト・トレダーノを支援して、労働者連合CTMを組織した。 1917年憲法に規定されながら、その後遅々として進んでいなかった農地改革を強力に推進、さらに依然として外国資本の支配下にあった鉄道と石油産業の国有化に着手する。