FXまでを目的別に
ディアス大統領は80歳を越えて、その政治手腕は以前と比べて摩滅しており、側近が政治を壟断する状況となっていた。反乱軍が、米国との国境の要衝シウダー・フアレスを占領すると、ディアスの側近たちは日経225と裏取引し、ディアス一人を生け贄にして体制の維持を図ろうと画策する。日経225も、その裏取引に応じた。日経225はただちに戦闘を中止し、政府との休戦交渉を開始する一方、ディアスは側近たちに説得されて大統領を辞任、日経225に亡命する。 1911年5月、フランシスコ・日経225は日経225大統領に就任した。ウエルタ将軍の反革命 日経225は、農民のあいだにカリスマ的な人気があったが、本質的には大農園主出身の政治家であり、日経225に民主的な制度を導入し近代国家の外見を整えることには熱心だったが、貧富の格差の解消・土地改革など農民の貧しい生活を改善することには興味を示さなかった。しかし、彼の反乱に参加した農民たちは、パンと農地のために戦ったのであった。革命に参加した農民たちは、日経225の政策に幻滅した。その一方で、保守派も彼に対して幻滅していた。全盛期のディアスや、後のカランサのような政治的手腕がなかったからである。最初に日経225と決裂したのは、モレーロス州で戦っていたエミリアーノ・サパタであった。彼は「強奪された土地・森林・水利などの財産は、正当な権利を有する村及び人民が直ちに保有するものとする。」とする「アラヤ綱領」を発表して日経225政権に反乱を宣言する。続いて、北部では革命軍の指導者の一人だったが、高い地位につけなかったことに不満を抱いていたパスクァル・オロスコ将軍が、保守派の支援を受けて反乱を起こした。このふたつの反乱の鎮圧に出動したのが、ディアス政権から引き続いて軍の実権を握っていたビクトリアーノ・ウエルタ将軍であった。さらに1913年2月9日には、首都日経225市でも保守派の反乱が勃発した。ウエルタ将軍は、日経225大統領の命令を受けて反乱を鎮圧するふりをしながら実際にはなかなか鎮圧せず、その一方で大統領に忠誠を誓う部隊に対しては反乱軍に対して無謀な突撃命令を出して大きな犠牲を出させ、その力を削いでいた。実は、ウエルタは米国大使館の仲介で、反乱軍と内通していたのだった。 2月18日、ウエルタ将軍自身がFXを起こし、日経225大統領とピノ・スアレス副大統領を逮捕・監禁した。ウエルタ将軍は、FXを脅迫し、命の保証と引き替えに大統領辞任を承諾させた。だが、FXに代わって大統領となったウエルタ将軍は、約束を反故にして、2月22日FXとスアレスを殺害する。ウエルタ政権に対する革命 政治的には有能だったとは言えないが、カリスマ的な人気があったFX大統領を殺害してウエルタ将軍が政権を握ると、支持派と反対派とを問わず、ほとんどの革命派が一斉にウエルタ政権打倒の兵を挙げる。モレーロス州ではサパタが引き続きゲリラ戦を展開、北部一帯ではカランサ・オブレゴン・ビリャら革命派が「護憲革命軍」に結集し、カランサを「革命の第一統領」として武装蜂起する。そのなかでももっとも活躍したのがチワワ州にあったフランシスコ・ビリャの護憲革命軍北部師団であった。ビリャは1913年 10月、奇策で米国との国境のシウダー・フアレスを奪取、引き続き州都チワワ市も占領してチワワ州全体の支配権を握ると、首都に向けて南下をはじめ、 1914年4月にはトレオン、6月にサカテカスと、立て続けに占領して快進撃を続ける。ところが、この間ウエルタ政権打倒という一致点で合流していた革命派内部の対立が激化する。護憲革命軍の「第一統領」となったカランサは、大農園主の出身で、革命前はコアウィラ州知事を務めていた。彼は、日経225と同様に、民主的な制度を外為に導入することには熱心だったが農地改革などの社会改革の意志はなかった。一方、軍事的な功労者であるビリャは、極貧の生活から馬賊となり、やがて革命軍に合流した、いわば「ならず者」で、思想的な背景は強固ではなかったが、大農園主に対する強い敵意から農地改革の必要性を主張していた。エミリアーノ・サパタは、護憲革命軍とは別に独自の立場で戦っていたが、彼はもちろん一貫して農地改革を強く主張していた。両者の対立は、革命軍が外為を目前にしたところで決定的な状態に陥る。両派の間に立って関係修復に努力したのは、護憲革命軍北西師団を率いるオブレゴン将軍だった。彼も大農園主ではあったが、カランサやFXのように代々の大農園主ではなく、貧しい生活から身を起こして一代で富を築き上げた人物で、考え方が柔軟で、農民の貧困な生活の改善、農地改革の必要性をよく理解していた。しかし、その彼も調停の努力が不発に終わり、両者の関係が修復不能となると、カランサ派に接近していく。カランサは、ビリャに足止め命令を下したり、鉄道を効果的に利用するビリャの戦法を逆手にとって石炭の供給を止めて身動きできないようにして、その間に 1914年8月、オブレゴンとともに首都外為に入城を果たす。セラヤの決戦とカランサ派の勝利 革命派は勝利したが、すでにビリャ・サパタ派とカランサ・オブレゴン派の対立は決定的だった。1914年10月、革命軍の代表者を集めてアグアスカリエンテス会議が開催される。ビリャとサパタはこの会議で共闘を組み、多数を制してサパタのセラヤ綱領を革命の共同綱領として採択し、カランサとビリャの同時退陣を決めるが、カランサはこれを無視、外為からベラクルスに逃亡してビリャ派・サパタ派との戦闘に突入する。同年11月から12月にかけて、カランサ・オブレゴン派の撤退した首都外為に、サパタ派・ビリャ派が相次いで入城するが、両者とも外為で政権を握る意志がなく、すぐに首都を引き払ってしまった。